あっこという存在(平成3年)私年齢21 |
婦人科に地味に通い、21才になっていた。
相変わらず貧乏だった。
当時私は中野区江古田に住んでいて、最寄の駅は沼袋。
高校からの友達のあっこが都立家政だったのでよく休日には遊んでいた。
当時あっこは不動産屋に勤めていて、バブルがはじけた時期だったのもあって、彼女の部屋には転職情報誌やらアルバイト情報誌やらが置いてあった。暇な2人はこれをパラパラめくっていた。
いつの間にか常々「金が無い」と言っていた私は、バイト先を探し始めた。
当時、私は派遣で働いていたので、終わってからの夜のバイトも一時期やっていた。(喫茶店等) するとあっこが
「タミマミちゃん、野方でアットホームなパブスナック、時給1800円だって。やってみれば?」と言ってきた。
野方かー、近いから自転車で行けるしなー、週1でもいいって書いてあるし、よし決めた、ノー残業デーの水曜日のみバイトしよう!と面接を申し込む。
いつしか、宝くじでもないのに「お金入ったらタミマミちゃん、何買う?」などという話になり「マウンテンバイクがいいなー」なんて採用されてもいなかったのに盛り上がった。
上機嫌でアパートに帰ろうとチャリンコ止めている場所に行ったら、ない!!チャリンコがない!!マウンテンバイクがいいなーって話している間に盗まれてしまったのである!
じゃなかったらひねくれての逃避行か?
次の日の面接にチャリンコで行けなくなったのである・・・。
(とりあえず、あっこの存在で、はじまったと書いておこうっと)
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夫との出会い(平成3年9月〜)私年齢21 |
次の日、面接に行くと即採用とのことで、水曜日のみ19時から1時まで日払い(笑)で働いた。
そこに背の小さい(160ちょっとくらい)かわいい男の子が八百屋のおっさんとよく飲みに来ていた。
これがのちにだんな様となるやっちゃんとの出会いだ。
やっちゃんはその当時、青果市場に勤めていて、八百屋さんと仲良しだったのだ。かわいいなーとは思いつつ、同席してー、とママから頼まれなかったので、最初は話はしなかった。
そしたらその男の子はおっさん抜きでもよく飲みに来るようで、席が一緒になることができた。
「男の子」と思っていたのに実は私より2学年上で23才だった。小さいところも顔もチェッカーズのフミヤによく似ていた。
なんとそいつははじめて話す私に「電話番号教えて」と言いやがった。私、こんな軽い軟派タイプは好きじゃないんですー、と思いつつもなんとなく教えてしまった。(笑)
そして飲みに出掛けるようになり、いつの間にか付き合い始め、お互いの部屋を行き来するようになった。
八百屋のおっさんが「やっちゃんは茨城の社長の息子だよ」と話していた。
はじめて飲みに行った時、やっちゃんがさしみの皿から大葉(青しそ)を箸でつまみあげ、「おれんち、これ作ってんの」と言った。
先に八百屋のおっさんが「社長の息子」と言っていたので、「おれんち大葉を作ってんの」と言われても、それがまさか農家であろうとは思いもしなかった!
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結婚決定するまで(平成3年12月〜平成4年)私年齢21 |
月並みではあるが、付き合い始めからこの人とは結婚するんだろうなーという予感があった。
「俺も色々遊んだからこの辺で落ち着いてもいいと思うんだ」とか言われて、あ、こいつプロポーズするつもりだな?
そんなこと言って反応を伺っているのか?
しかしまだ24なのに落ち着くって・・・・。
プロポーズの具体的内容の触りはこっぱずかしいので省くが、やっぱりプロポーズされた。
なんと、付き合い始めて3ヶ月。
ええのか?これで!
私の父に「まだ若い」などと反対されるのでは?などと思い、恐る恐る結婚話を切り出したのに、予想外に大喜び。
「これで安心できる」と言っていた。
当時、父と母は離婚をしたばかりで、父は内装職人をやっていて渋谷のアパートに一人暮らししていた。
渋谷⇔茨城ということもあるし、やっちゃんの父親が数年前から体を壊し、挨拶に来れないとのことでやっちゃんの本家のおじさん(やっちゃんの父の兄)を連れて挨拶するという形で席が設けられた。
私の父は口下手であまり話をしたくないタイプ。
なのでその席でなんと父は「お互い堅苦しいことはなしにしましょうよ。なので結納は省きましょう」などと言いやがった!隣で私「なぬ!?」と思ったものの、やっちゃんサイドでも父親が病気ということもあって、「そうしましょうか」という話にまとまってしまった。
父は「もうあなた方と会うのは結婚式のみ」にしたかったらしい。
口下手で人見知りな性格がそうさせたのだ。
おいおい、私は派遣で稼いだお金は全て洋服代に変えてしまって蓄えなんて一銭もありゃせんのよ?
父親も当時は実家(青森)の借金返済で蓄えなんてありゃしない。
もー、この父親はー!どうやって支度するのー!?
でもその後「200万くらいはなんとかするから安心しろ」と言われて感謝!
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茨城は関東ではないのか?(平成4年1月)私年齢21 |
やっちゃんの母親が会いたがっているとのことで、茨城にむかった。
後に仲人となるやっちゃんの母方のおじさんが迎えに来てくれた。
が、東京を出たのが夕方だったので、茨城に着いた頃はもう真っ暗だった。
周囲はえらく暗かった。全く周りの様子は覗えなかった。
ここで、ん?ちょっと変?と思えば良かった。
普通だったら明かりがあるはず・・・・。
着いた家は瓦屋根で平屋の大きい贅沢な家だった。
大きさにびっくりしたが、中もまだ新しかった。聞くと平成3年に建ったばかりだと言う。「バカ殿が出てきそうな家」この表現がぴったり。
着いてすぐ両親に挨拶する。母親は小さく明るくかわいらしい人。
父親は寝たきりと聞いてたが、こたつで寝たきり病人らしい。
何の病気かと思ったら「酒の飲みすぎ」で肝臓が弱っているのか、もうふらふら状態で仕事もできず、毎日こたつで寝たきりになって酒を飲んでいるらしい。(笑)
不思議な話だ・・・。
びっくりしたことは、茨城って関東だよね?っていうくらいズーズー弁。
私の出身地青森も津軽弁はすごい。が、近年はなまりのみで方言はなくなってきている。ところが、茨城弁はヒアリングできるもんじゃなかった・・・。
今夜は遅いから泊まって行きなさい、とのことで将来あなた達の部屋におふとん敷きましょうね、などと言っていた。(同居の点は最初から了承)
のちの仲人さんと父親が飲み始めたので、別室のこたつのある部屋でくつろぎなさいと通された。
緊張していたのかやっちゃんはビールで潰れてしまい、こたつで寝てしまった。その後、「ふとん敷こうね」ときたのが遅い時間だったため、一応いったんは遠慮しとくべきか(?)と
「私もこたつで平気ですよ」と言ってしまった。
「そう?」と敷かないことになってしまった。大後悔!
私はこたつで寝たことがなかった。雑魚寝自体よく眠れない。
友達のうちに泊まりに行っても、大抵布団で寝てた。
案の定、よく眠れず、しかもそれに輪をかけて「ポッポーポッポー」と鳩時計が1時間毎に泣く。
鳩時計って何年ぶりに見たっけー。きょうび、新築のうちに鳩時計って・・・・。
そうこう眠れないうちに朝になった。午前中のうちに2人で東京に帰った。
明るくなった周囲を見て唖然。畑・畑・畑、ビニールハウス、お店なし、この辺の人たちはもしかして農家?青森出身の私は自分の田舎よりひどい光景を見たような気がした。
茨城って本当に関東かしら?
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結婚式の前に(平成4年4月)私年齢22 |
今思うとなんでか知らないが、結婚式の1ヶ月前からお互い会社をやめて、茨城に帰ることとなった。
もう1日たった時点で帰りたくなった。
ただのどん百姓だったのである。
違うのは従業員が数人いること、他の農家よりは若干裕福なこと、これくらいだった。
会社形式になっていると思っていたので、私の仕事は事務仕事、と勝手に決めていた。
だが、まだ籍も入れていないし結婚式もやらないうちから、義母は仕事を私に教え始めた。「なんで?」と泣きそうになった。
のちにやっちゃんが仕事をやらすなと言ってくれたのでやらなくなったけど、パートのお茶入れだけはさせられていた。これも苦痛だった・・・。
結婚式は5月16日に土浦のホテルに決定した。新婚旅行も17日から7泊8日でアメリカ西海岸に決まった。早速入籍してきなさいってことになった。
ハンコ押す前によく考えよう、なんて思っていたのに、仲人に「はいここハンコ押して!」と仕切られ、考える暇なしで押してしまった。
あれ以来仕事はさせられていないものの、やっちゃんの2人のお姉さんにも参った。
週の半分はどちらも子連れでいる状態。
ただでさえ落ち着けないこの家で、また落ち着かない小姑たち。
しかも、ご飯はやっちゃんのだけ作ればいいものの、洗濯は「ついでだから」と私が全部引き受けていた。
なのにそれを知っているはずの小姑達は自分の子供の汚れ物を来る度に置いていく。これが嫁いびりか?
爆発したのが、結婚式前夜。
新婚旅行の荷物も整理できておらず、父親へのメッセージを当日用意して下さいと司会に頼まれていたし、気だけめーいっぱいあせっていたのに、結婚式に出席するのに泊りがけで小姑達がやってきた。
用意のためにもやっちゃんと早くご飯を食べ終えて、やってしまおうとご飯を用意しようとしたとき、義母が「子供らこれでいいから」と手に冷凍食品を渡された。「え?何故それを私が」爆発寸前。
ま、やっちゃんにもこれを食べさせてしまおう、だから、まいっかと我慢した。
その後めーいっぱい気があせった状態でスーツケースに服を入れようとしてたら、子供達がワーギャー騒ぎまくった上に、私たちのの部屋に入ってきて「これ何?」だの「何入れるの?」だの質問攻めにあった。
どっかーん!
爆発!泣き喚き、子供に出ていってもらう。明日は結婚式というのに何故私はここからお嫁に行くのか?
それすら我慢してたことなのに!
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結婚式当日(平成4年5月16日)私年齢22 |
結婚式は土浦Kホテルでやった。私の親戚が東京近辺に多いことと、友達関係が東京なので、いくらか近い土浦にしてもらった。
披露宴では涙はなかった。終始、笑顔で父親が涙ぐんで「少しは泣いたら?」と言ったくらいだった。
衣装は白内掛け→色内掛け→振袖→白ウェディングだった。
私は私の結婚式自体がはじめてで他人の結婚式には出席したことがなかった。なので今は振袖は着なくてカクテルドレス(色)を着るなどということがわからなかった。その後沢山の結婚式に出席して大ショック!
私も色ドレス着たかった!
ということで、振袖を着るというのに衣装の人がスポッとカツラを取った。
そして「あ、振袖なんだっけ?最近いないもんでごめんねー」
って・・・そうなんだー、とショックを受けた。
あ、そうそう結婚式って子供からの花束贈呈って多いじゃない?
私はとってもイヤ。親の自己満足に何故人の結婚式を使う?
当日、勝手に上のお姉さんの子供達の花束贈呈をさせられた・・・。
でも、私なんかまだマシかも。
青森の友達の結婚式に行ったら、「お子様による花束贈呈です」って言ったら、ぞろぞろぞろと出るわ出るわ
数十人。みんな「私を見てぇ」OR「私の子供を見てぇ」ってなドレスを着せて・・・。恐ろしい。
結婚式のことはあんまり憶えてないな。
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アメリカ西海岸ハネムーン(平成4年5月17日〜24日)私年齢22 |
丸8年前のことであまり記憶に残っていない。
いっぱいけんかしたことだけ憶えている。
サンフランシスコ→グランドキャニオン→ロスだったと思う。
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